この記事は、2017年6月12日にジョン・ウッドがHuffington Postに投稿した「A Message To My Dad On Our Last Father’s Day Together」を日本語に翻訳したものです。
父さんへ
昨日、さよならと言ってコロラドの実家を出る瞬間、これが父さんに会える最後になるだろうということを僕ははっきり確信した。数週間後か数か月後かに再び帰省するときは、母さんが一人で僕を迎え入れてくれるだろう。主治医たちにもそう宣告されていたし、なによりも末期のガンであるという現実が、これが一緒に過ごせる最後の父の日になることを物語っている。
僕は常々、自分は『人生の宝くじ』で当たりをひいた幸運な人間だと思ってきた。まずは世界で最も裕福な国の一つの中流家庭に生まれたこと。僕が受けた公教育は素晴らしいものだったし、先生たちは教育の尊さを教えてくれた。そして両親は僕の旺盛な読書欲を常に満たしてくれた。しかも僕は、別の宝くじでも当たりをひいたんだ。僕の夢を心から信じてくれる父親を持つ、というね。
投資家やジャーナリストにルーム・トゥ・リード設立の経緯について尋ねられるとき、僕はいつも「ウッディ」という主人公が登場する話をしているよ。ネパールのバフンダンダという埃っぽい小さな村の、からっぽの図書室の責任者との出会いについて話したとき、父さんは迷うことなく本を運ぶのを手伝うと言ってくれたね。翌年、その図書室に本を届けるという約束を果たすため、6頭のロバの背中に3000冊の本を乗せてネパールの山岳地帯を一緒に旅したとき、父さんは73歳だった。それから、僕が35歳のときのこと。マイクロソフトの重役の職を辞して、自分のエネルギーの全てを注いで、同じような何百何千もの図書室を生まれ変わらせようと考えたときにも僕の背中を押してくれたよね。
このミッションが価値のあるものだと信じてくれた理由の一つは、父さん自身が貧しい家庭に育ち、7人兄弟の中で唯一正式な学校教育を受けられた子どもだったからだと僕は思っている。大学に進学するための奨学金を得られたことは、父さんにとってより良い人生への入場券のようなものだったし、ひいては僕や僕の兄弟たちの人生にも大きな影響を及ぼすことだった。それに、父親としても素晴らしかったよね。「途上国のアンドリュー・カーネギーになる」という僕の夢を嘲笑し、猜疑心に満ちた顔を向けてくる人たちに対して僕がくじけずに頑張り抜けるよう、揺るぎなくサポートし、励まし続けてくれたんだ。自分のしていることに自信がなくなったとき、僕はいつも父さんに電話したよね。父さんはその度に「ジョン、お前の夢をあきらめさせようとする批評家や皮肉屋たちの言葉に耳を傾けてはいけないよ」と優しく励ましてくれたね。
それからというもの、ルーム・トゥ・リードの仕事のおかげで、僕は電気も水もひかれていない何百もの村々を訪れ、ビジネスや政治の世界の権威ある人々と夕食を共にする機会に恵まれてきた。だけど、僕にとって宝物のような思い出は、父さんと過ごした時のことなんだ。僕は忘れない。それから10年後、母さんも連れてネパールを再訪し、ルーム・トゥ・リードの1万室めの図書室のオープンを祝うテープカットで僕らがともに流した涙とその時の父さんの顔を。これが一緒に過ごせる最後の父の日になってしまうけれど、この事業がこれからも続いていくことを父さんに知っておいて欲しいんだ。僕らが始めた活動は、今では世界規模に広がっているんだよ。真っ先に投資家になってくれて、ボランティアの責任者をしてくれて、そして一番大事なことだけれど、僕に勇気を与えてくれるチーフ・インスピレーション・オフィサーになってくれて、本当にありがとう。現場に出かけて、ルーム・トゥ・リードが提供しているプログラムを受けている子どもたちやその子たちの両親に会う時、僕がたゆまず夢に向かって歩き続けることができるのは、父さんや家族のサポートが原動力となっているんだっていうことを僕はこれからも語り続けるつもりだよ。
父さんが病気で、やがてこの世界から旅立つ日がくるだろうという現実と日々折り合いをつけているところだけど、そんな時でも、僕は父さんに助けてもらいながら切り拓いてきたこの道を前進し続けるよ。これからも父さんは僕の中で生き続けていくし、僕や僕らチームをずっと応援してくれるだろう。いつか父さんがこの世から去って、長い長い時間が過ぎても、父さんが遺してくれたものはたくさんの子どもたちの中に受け継がれていくんだ。
父の日に愛をこめて
翻訳:松浦愛(ボランティア・サポーター)